何かに精通しようと思ったら、特にスポーツの分野では訓練が必要です。
プロのアスリートは誰よりも早く練習場に来て、誰よりも遅くまで練習しています。鍛錬のため、より多くの時間とより大きな努力とより厳しい規律を自分に課しています。時間と行動を律することができれば、その分野で最高とまではいわずとも、卓越した者になれると信じているからです。そして自分の専門分野で優れた技術を身につけることができます。 このように規律には自制が伴います。たいてい何をするにも自制が必要です。例えば運動すると決めたとします。減量したい、ダイエットしたい、お腹周りの三段腹をなくしたいと思ったとします。しかし実行するには自分を抑制できなければなりません。 今の世の中は「手軽に満足できる」ものにあふれています。インスタント食品、カップ麺、インスタントコーヒー、それにインスタント妻、つまりオーダーできる花嫁まであります。 「結果を待つ必要なんかない」と言う人がいます。「何かを手に入れるのに待ちたくない、自分のやり方で手に入れたい。今すぐほしいから」と言う人です。 ドライブスルーやレストランで長い間待ちたくないですよね。列に割り込む人がいたら、頭に来て復讐したくなります。そして注文を取りに来た店員に怒りの矛先を向けたりします。または運転中に自分の前に割り込んだ車がいたら、追いついてその運転手に怒りを爆発させたくなります。 親愛なるみなさん、今日は御霊の実シリーズの最終回です。アーメン。これまでにマーク牧師とサンデースクールから多くの事を学びましたか。そう願っています。 ガラテヤ5:22-23 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。 多くの人が、おそらくみなさんもそうかもしれませんが、一番苦労しているのがこの自制であるようです。(私も時々罪悪感があります)。様々なタイプの人、様々な国籍の人が皆自分を抑制することに苦しんでいます。あなたも、ここにいる人も、あるいはほとんどの人が自制について悩んでいるのではないでしょうか。あなたはどうですか。 今までに自制について苦しんだ経験がありますか。私たちは皆クリスチャンなので、物事がうまくいっていないと、自分の中で闘いが起こっていると感じます。自制とは何でしょうか。 自制(self-control)という言葉は、ギリシャ語のENKRATEIAから来ています。ENは内側(in)、KRATOSは力(power)という意味です。つまり力を持っている状態、自己を統制している状態です。 基本的には感情、衝動、欲求を抑えることを指しています。抑制の能力のことです。 何かがほしいと思った時に拒絶する能力です。 言っておきますが、誘惑にあうのは罪ではありません。しかし誘惑がやって来た時、拒絶できますか。 親愛なるみなさん、自分の手に負えないような誘惑がやって来た時、拒絶できますか。 自制の最良の模範は、私たちの主イエス・キリストです。 へブル4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。 あなたが今、どんな状況にあるのかイエスは知っておられます。あなたの苦悩をわかっておられます。あなたがもがき苦しみ、困難と誘惑にさらされているのをご存じです。だからこそ自制のことを「抵抗し、拒絶する能力」と定義しているのです。自己抑制力です。 先ほどイエスへの誘惑についてマタイ4章の聖書朗読がありました。イエスの40日40夜の断食を想像できますか。4章を見てみましょう。 マタイ4:1-2 それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。 イエスは1か月半も食事を取らず、「その後で空腹を覚えられた」とあります。普通私たちは朝食を抜いたり、食事を1、2回取らなかったりすると空腹だと訴えますね。しかしここでのイエスの空腹は、「餓死しそうなほどの空腹」です。イエスには食べ物が必要で、食べ物がほしいと思っていたはずです。 そこへ悪魔がやって来て、食べ物のためにイエスの力を使うよう誘惑します。イエスの食べ物への欲求は、はかりしれないほど大きなものだったはずです。 悪魔は言います。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」。 悪魔は、イエスの力でそうできることを知っていました。イエスもご存じでした。イエスはパンをほしいと思われたことでしょうが、きっぱりと拒絶されました。 すると悪魔は魅力的な提案を次々に出して、イエスを試みました。 悪魔はいつも、あなたに望ましいものを利用して誘惑します。 断食して空腹の時でも、悪魔は野菜サラダを使って私を誘惑することはありません。そうではなくて、レチョン(訳注:豚の丸焼き。フィリピンのごちそう料理)やステーキや寿司やイチゴケーキやアイスクリームなどを目の前に出されたら、それこそまさしく私にとって「誘惑」となります。 (主よ、ほんの少し、味見だけさせてください、と言うかもしれません) 繰り返しますが、悪魔はあなたが本当にほしい物を携えてやって来ます。自制や拒絶をあなたから取り払おうとします。 マタイ4章で、悪魔はイエスに力、能力、権威を使うよう誘惑します。「あなたは神の子なのだから、石をパンに変えられるだろう。空腹なのだからそうしなさい。あなたならできますよ。今すぐに」とイエスに言います。 そこでイエスはパンを食べるか、正しいことをするかの選択をします。 私たちには正しいことをするより、やりたいことをする欲求の方が強いのでしょうか。 あなたが正しい方を選択すれば、それは「義」と呼ばれます。 ゲツセマネの園は、イエスが十字架刑を受ける前に祈られた場所です。 イエスはこう祈られました。「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください」(マタイ26:39)。 この時、イエスは人間の罪をすべて引き受ければ、天の父から引き離されると知っておられました。父なる神は罪とは相いれないからです。想像してみてください。イエスは遠い過去からずっと天の父と一緒におられたのに、ここで御父から離されるというのです。イエスは心の中の葛藤を制御しなければなりませんでした。 その後、イエスは拷問と十字架刑を受けるのを自分にお許しになりました。イエスはあなたの代わりに死なれました。教会の兄弟姉妹のみなさん、よく聞いてください。イエスは私たちの代わりに死なれたのです。 イエスは正しいことをされました。自制の完璧な模範でした。 イエスの自制はまだあります。 イエスは拷問と十字架刑に際して、天からの援軍を呼ぶこともできたのに、そうはされませんでした。御使いに、ご自分を迫害している人々を滅ぼす権限をお与えになりませんでした。 マタイ26:53 (イエスは言われました)「それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今すぐわたしの配下に置いていただくことが、できないと思うのですか」。 イエスはここで、自分を捕らえようとする人々が来ているのに、自分を守る必要はないとペテロに言っています。 ところで、1軍団は何人の兵士で構成されているか知っていますか。ローマ帝国の1軍団はおよそ6千人でした。ですからイエスが言われた12軍団は、計算すると6,000人×12=72,000人となります。イエスがペテロに言われた御使いの数は、7万2千人です。 旧約聖書では、列王記第二19:35で一人の御使いが18万5千人のアッシリアの兵士を打ち殺したとあります。 再び計算すると、72,000人の御使い×185,000人≒130億人となります。もしあの時イエスが御使いに助けを求めていたなら、およそ130億人の人が御使いに打ち殺されていたでしょう。ただ、当時の世界人口はわずか推計3億人程度でした。 イエスが御使いに助けを呼ぶのをやめていなければ、イエスに自制心がなければ、どうなっていたでしょう。あなたも私も私の家族も今ここに存在していないでしょう。世界中が消え去ってしまったことでしょう。 現代に置き換えたとしても、やはり世界は消え去ることになります。現在の世界人口は約80億人なのですから、御使いの軍団に消し去られてしまいます。 Ⅱペテロ2:21-24 このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。 親愛なる兄弟姉妹のみなさん、イエスには世界中に権威を持つ権利がありました。しかし、そうなさいませんでした。なぜでしょうか。 イエスは、あなたを、私を、あなたの家族を、あなたの愛するすべての人をご覧になりました。あなたの友人を、あなたが昨日かっとなって怒った近所の人を、そして世の中をご覧になりました。 もしイエスが死ななければ、あなたはどこにいるでしょうか。あなたの両親は、子どもはどこにいるのでしょう。 御霊の実は自制です。 みなさん、欲望と誘惑が襲ってきたとき、抑制し、拒絶し、食い止めるよう私たちは求められています。では、自制が必要なのはどういう時でしょうか。 1. 人間関係で自制が必要 誰かに腹立たしい思いをさせられた時、相手を攻撃したくなったことがありますか。ある教会員を怒鳴りかけた牧師がいました。私たちは自分を抑えなければなりません。我慢できないときは100まで数えてください。でも羊を数えてはいけませんよ。眠ってしまいますからね。 2.金銭面で自制が必要 必要以上に浪費していませんか。貯蓄に回すはずの金銭を使ってしまっていませんか。ちょっと見るだけのつもりでショッピングモールに行って、結局家族全員の買い物をしたりしていませんか。 3. 健康を維持するのに自制が必要 スケジュールを守りましょう。運動の習慣をつけましょう。継続には強い意志が必要です。適切な食事にも自制が必要です。サラダを食べたいという誘惑は来ないでしょうが、ケーキやステーキには心を惹かれます。それを拒絶する自制を持ってください。今日は食べないぞ、と。 4. 霊的に健全な身体の保持に自制が必要 運動や健康的な食生活を規則正しく実践するのは難しいことです。同じように、祈りやデボーションの時間を日々の生活の中に規律をもってスケジュールに組み込むのも難しいことです。神との関係性をより深めるためには、決意と規律と自制が必要です。 5. 罪を避けるために自制が必要 ガラテヤ書の御霊の実の前の節に、実と対比する事柄が書かれています。肉のわざとあります。 ガラテヤ5:19-21 肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。 あなたはこのうちの一つや二つは経験があり、もうおしまいだ、自分は天国に行けないと思うかもしれません。しかし大切なのは最後の21節です。「このようなことをしている者たちは神の国を相続できません」という箇所です。 もしあなたが継続的にそれを行い、罪があなたの生き方となっているなら、文字通り神の国を相続できません。しかしイエスに罪の赦しを求めたのなら、それらの罪はすべて取り除かれています。あなたは義とされています。 私たちはみな、誘惑されやすい弱い分野を持っています。悪魔はその弱い部分を突いてきます。 Ⅰコリント10:13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。 みなさん、神は、耐えられない誘惑にあわないよう、いつもあなたに逃げ道を用意してくださるでしょう。罪に陥らないようにする選択肢は常に存在します。 イエスにすべてを引き渡し、あらゆる重荷をゆだねれば、平安が訪れます。主よ、私の人生を支配してください。みこころにゆだねます。 わたしの願いではなく、みこころがなりますように。 おしまいに、次の聖句を読みます。ここに本質があります。 マタイ7:15-20 偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。 誰がイエスに従う人か、どうやって見分けますか。 その人の実を見てください。御霊の実を結んでいますか。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制を持っていますか。 翻って、自分はどうですか。だいたいは持っているけど、持っていないものもある、というところでしょうか。もっと成長するよう私の内側で神が助けてくださっています。 親愛なる兄弟姉妹のみなさん、御霊の実の成長を望むなら、実の種を植え、大きくしてくれるようイエスに頼んでください。実を成長させてくれるのはイエスです。 あなたが受けたどんな傷も、どんな痛みも手放して、イエスに自分を預けてください。自分を頼らず、イエスに頼ってください。 祈りましょう。
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